朝晩涼しくなってきたこの頃ですが、この夏に思ったこと(今更ですが)。
●この記事を書いた人
持田 雅誠 広報課長
川の安全についてテレビで語ったりもする(まれに)
色白なので日焼けするとヒリヒリする
8月上旬に、伊豆のとある海水浴場へ旅行に行きました。
そこは崖に囲まれた深い湾にきれいな砂浜が広がり、波も静か。
遠浅ではないけれど、多くの家族連れが海水浴に興じていました。
まぁこの数年、何度か行ってる場所な訳です。
海に向かって右手は岩場で、テトラポッドの一群もあり、シュノーケリングをやりたい人には絶好のロケーションと思われます。そんな格好の人もたくさんいました。
(何度も行きたいステキなビーチなんですよね)
ただ、私はやってみようとは思わなかったりします。
理由① 足のつかない所で泳ぐのは怖い。ほとんど泳げないし。
理由② そこで2014年・2015年と2年連続で子供の水難死亡事故が発生したから。
2015年の事故というのは、その時の旅行の1週間前に発生したものですが、2件ともシュノーケリング中、テトラの周辺で起こった事故でした。2年連続ってちょっと嫌ですよね。※ライフジャケットの装着状況は、報道からは不明
この夏はシュノーケリングの水難事故が多く、報道で見聞きした方も多いと思いますが、7・8月(7/1~8/16)には全国で22人が死亡したそうです。
ちなみにこの海水浴場、監視員が3名ほどいたことに驚きました。
いたの!?みたいな。(8月は初めて行ったので)
いくら監視員がいても、混雑してたり、監視範囲が広かったりしたら、ピンチな状態で見つけてもらうには、運不運が結構影響してきそうではあります。
つまり、監視員がいるかといって、安心しきってしまってはいけないという実例ではないでしょうか。
(危ない状態の人を、何秒で探せますか?)
監視員やプロガイドがいても、事故は完全には防げない。
ところで、こんな水難事故を覚えていますか?
「玄倉川水難事故」1999年8月14日、神奈川県の丹沢山系で発生。死者13人。
※玄倉川水難事故 で検索すると詳しい情報が出てきます。
子供4人を含む13人に上る犠牲者数もさることながら、遭難者が濁流に流される姿がテレビ中継されていたのが衝撃的でした。私ははっきり覚えています。
もう一つ、日本では報道されていないかも。
スイスのザクセートバッハ(Saxetbach)で起きた、キャニオニング中の死亡事故。
1999年7月27日発生。死者21人。
こちらはスイスアルプスの急峻な峡谷(クリーク)で、アドベンチャー会社によるキャニオニング中、激しい雷雨によりたった20分で鉄砲水が発生したというもの。
ガイドとツアー客は、瞬く間に流木たっぷりの濁流に飲み込まれ、53人中死者21人という惨事になりました。中欧では新聞1面に報じられてました。
検索ワードは saxetbach unfall でどうぞ。
※独語新聞Webサイト、ニュース映像等が検索結果に出ます。
※画像検索はシビアなものも表示されるためご注意ください。
(急流は救助もセルフレスキューも高難度。どう泳ぎますか?)
【ナポレオンの村 第4話で楓(青山倫子さん)が流されかけた川にて】
国内(海)、国内(川)、そして海外(川)と事故を列挙しましたが、もちろん、それぞれの状況は違います。
では共通項として、押さえておくべきポイントもないんでしょうか。
私はあると思います。
恐らく誰でも考えるであろうこんなこと・・・。
・「監視員がいる海水浴場なら見ていてもらえるから、安全に楽しめる」
・「テレビで中州が危ないって聞いたけど、取り残されたらヘリが救助に来るはず」
・「私はこのアクティビティのお客。お金を払ってるし、引率者はプロだから全て任せ ておけば大丈夫」
(毎年取り残される事故のある「中州」 増水時のエスケープルートが分かりますか?)
「自然」ってのは、ありのままっていう意味だと思いますが、少なくとも人間に対して優しくしようとか、そんな存在でないことは確かですよね。
そんな場所においてさえ、レストランで恭しくサーブされるように、他人に命を預けてしまうメンタリティが共通してあるのではないかと。
「自然の中での活動はリスクを伴う」って耳タコな言葉だけど、いちいちアウトドアする度に、ネットやら何やらから知識を仕入れるのも、コスパが悪い。
分かります。
人任せにせず、危険について考えることから「セルフレスキュー」が始まる。
でも、「他人は都合よく助けてくれない」という考えを持てば、自分が死なない、恋人・家族を死なせないためには、ちょっとはマジメに情報を仕入れて、なるべくリスクを避けようって気にもなるのでは? いや、なった方が良いと思う!
ついでにイザといいう時に、助かる/助ける方法も覚えておいてはどうでしょう。
(水辺って楽しい~♪ 近づきたくなるのは、海から来た私たちの本能なんでしょうね)
そういうのを「セルフレスキューの知識と技術」と呼ぶ訳です。
他人に助けられるんじゃなく、自分で自分の命を守るゾってね。
よく、事故が起きると、運営側の管理責任がどうたらって報道に叩かれますが、当事者として自分が死んじゃっていたら屁のツッパリにもなりません。
誤解を恐れずに言えば、監視員がいる海水浴場を選ぶことも、テレビや雑誌で紹介されたアクティビティーの会社を選ぶことも、セルフレスキューには繋がりません。
意味がないとは言いませんが、安全性を高めるための一つの要素でしかない。
最後に頼れるのは自分自身。大事な人を守るのはあなた。
だから、自分自身の能力を知って、その場所で起こる可能性・リスクを調べ、命を危険にさらさないための対策をしてから活動することが重要でしょう。
場合によっては、”ヤバそうだな”と思ったら、予定をキャンセルするってことだって、立派なセルフレスキューです。
サービスを提供する側がいるならば、そちらが利用者の安全を確保するよう努めるのは当然。
でも、紹介した事例のように、安全は一方的に与えてもらえるものではないし、保障もしてくれない。(補償はしてくれるかも)
利用する人、参加する人も、事故が起こらないよう努力してほしい、と思いましたっていう話でした。
まぁ海や川に限らず、歩きスマホで前も見ない人は、正面に包丁持った通り魔がいても直進するのかな?な~んて。
他人に自分の命は預けたくないですよね。