B&Gな日々

B&G財団っていう団体のスタッフが書く、徒然なるブログ

なりふり構わない「障害者アスリート 競技種目の転向促進」は吉か凶か

~ パラリンピック競技「トライアウト」開催(11/3 東京) ~

 

f:id:bgblog:20151007170945j:plain ●この記事を書いた人

 もち  まさなり    広報課長
 競技歴4年でオリンピックに出たことがある(偶然)
 でもその後は出られず、32までフリーターで過ごした 

(そろそろ顔写真を素顔に入れ替えたいと思っています) 

 

各紙「TPP大筋合意」「名張毒ぶどう酒事件」が並ぶ10月5日(月)の新聞1面、読売新聞だけが報じた記事に目を引かれました。

 

オンライン無料記事では半分までしか読むことはできませんが、紙面では“日本パラリンピック委員会は東京大会で「金メダル22個」(ロンドン大会の5個の4倍以上)を目標に掲げている”と続いています。

重点配分は合理的だし、自国開催で目標を高く掲げるのは当然のこと。

 

気になったのは次の部分。

“トップ選手の体格や身体能力に合わせ、活躍の可能性がある別の競技への「転向」も促す。”

ほほぅ。

 

 

早速検索してみたところ、こういうものが出てきました。

平成27年度日本パラリンピック委員会選手発掘事業

※参加申込みに当たっては、実施競技団体が示す「参加対象者・資格等一覧」に記載された事項をご確認の上、お申込みください。(記載内容が当てはまらない場合は、参加をお断りする場合がありますので予めご了承ください) とのこと。

 

参加資格を見ると、競技団体が求める基準やスポーツ歴など、詳しい一覧表になっていました。要は、対象外お断りということですね。

 

f:id:bgblog:20151009181307j:plain

              (写真は記事内容と無関係です)  

 

前回1964年の東京五輪でも、層が厚い競技の、代表に届かない選手たちがマイナー競技に転向し(させられ?)、オリンピアンとなった話は枚挙に暇がありません。

しかし、それから半世紀が過ぎ、さらにオリンピック・パラリンピック決定(2013年の9月7日)から2年過ぎた「今」になってやる、と・・・。

(昨年度同じものが開催されたか検索できませんでした。

 ご存知の方、教えてください)

 

オリンピックを国威発揚の手段とする国々では、体格、身体能力、筋肉の性質など検査の上で、最適な競技種目の育成システムへ乗せられた、っていうのは聞いたことがあります。

(話がホントかどうかはともかく、確かに1970・80年代の東ドイツは、経済規模・人口の割にものすごいスポーツ強国でした ※1949年から1990年の間、ドイツは西ドイツ・東ドイツという2つの国に分かれていました)

 

f:id:bgblog:20151009181313j:plain

             (写真は記事内容と無関係です)  

 

経験の長い短いではなく、

愛着の有る無いでもなく、

ただ強い者が勝つ。順位がつく。

 

競技だからそれが当たり前。

明日から始めて、東京大会へ出たって何の問題もない。

 

でも、パラリンピックの目的ってなんだったんだろう?

障害者の社会参加を促進?

スポーツを共通のコアとして、障害者・健常者の区別がない意識の醸成?

少なくとも、パラリンピックの開催自体が目的ではなく、その後も継続して、障害者スポーツが日本の社会に根付くことが求められると思います。

 

f:id:bgblog:20151009181311j:plain

        (しつこいようですが、写真は記事内容と無関係です) 

 

「東京大会のパラリンピアン」というニンジンで競技種目を転向した選手であっても、その後は該当競技の「星」として活動していってくれる!活躍してくれ!というのが、関係者の期待するところでしょう。

トライアウトでスター候補が見つかり、競技種目を転向してパラリンピックで大活躍、その後も競技の広告塔として末長く活動し・・・と展開していけば理想です。(当たるも八卦当たらぬも八卦)

 

一方で、大会後の景気の落ち込みも懸念されています。

高い目標、巨額の強化費計上、しかし2020年の後は何も保証されていない。

恵まれた環境や強化費ありきで転向した選手は、支援がおぼつかなく(「金」ですな)なっても、続けていってくれるものでしょうか?それも定かではありません。

 

愛好者のすそ野を広げる、社会からの理解を深めるといった、いわば地道な方法ではなく、一見特効薬にも見える、しかし近視眼的な取り組みは、将来吉と出るのか、凶と出るのか。

 

「パラリンピック大会」という打ち上げ花火を上げて終わり、ではなく、かけたお金がその後、より良い日本社会を創造するための投資になるよう、考えなければならないのではないでしょうか。

 

f:id:bgblog:20151009181318j:plain

            (これも記事と無関係です)